この時期、東ドイツの国営企業であるCarl Zeiss Jenaと、西ドイツのCarl Zeiss
(オーバコッヘン)との間で商標権争いがあり、そのときに連邦裁判所が判断し
た「西ドイツ国内で販売する東独ツアイス・イエナの製品には、“CARL
ZEISS”の商標の使用を認めない」といった決定に因るものです。
(オーバコッヘン)との間で商標権争いがあり、そのときに連邦裁判所が判断し
た「西ドイツ国内で販売する東独ツアイス・イエナの製品には、“CARL
ZEISS”の商標の使用を認めない」といった決定に因るものです。
Carl Zeissの歩み、、、
1846年にJENAで創業。第二次世界大戦の敗戦直後、ドイツの東西分断により、
ドイツ東部にあったJENAはソ連占領統治下に。このままだと、Carl Zeissの
光学技術が、ソ連に渡ってしまうと危惧したアメリカ軍は、ソ連軍に先んじて
JENAに入り、技術者の多くを半ば強制的にオーバーコッヘンに移動させた。
こういった経緯から、東西に分裂した片割れの地、西ドイツの街オーバコッヘンで
新たにツァイス・オプトン社として光学機器の生産を引き継ぐことになる。一方
ソ連軍はJENAの工場群を接収、残った技術者もソ連に送った。これらによって
Carl Zeissは東西に分裂する運命となる。
一方の東ドイツ側では、JENAに半官半民の「人民公社Carl Zeiss Jena」を設立。
以降JENAのカール・ツァイス社は東ドイツの誇る光学機器メーカーとして存続する
ことになった。その後、どちらがツァイスの名やコンタックス等商標の権利を持つかを、
長年にわたって裁判で争うようになるとも知らずに。
1989年~1990年に渡って行われたドイツ東西統一により、東西に分かれていた
Carl Zeissも統合の道を歩むことになる。JENAにあったZeissは経営に行き詰ま
っており、実質的にオーバーコッヘンのツァイスが吸収する形となり、現在もCarl
Zeiss本社はオーバーコッヘンに置かれている。
その後は、ヤシカや京セラなど合併合弁しつつ現在に至る。
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